2024年11月4日4時14分、父が亡くなった。
心筋梗塞になったときはカテーテルでステントを入れて大事とならなかったり、胃がんが見つかったときも胃を半分ちょっとくらい切ったものの再発は無く、それなりに病気しながらも生き延びていた。
そんな中、難病に指定されている「悪性関節リウマチ」が見つかり「間質性肺炎」となり、投薬治療と外出時には酸素カートキャリアに酸素ボンベを積んで車椅子で移動とかしていた。
足腰が弱り、肺炎があるので少し歩いただけでも血中酸素濃度が80%前後に落ちてしまいボンベから出る酸素をチューブを通して吸っていた。
健常者は血中酸素濃度は96~99%くらいなので、80%代はどれだけ苦しいのか想像は付かない。
トイレに行くなど、自宅内の移動はボンベを外して歩いて移動していたりした。
この悪性関節リウマチは難病指定されていることからも分かるように治癒には向かうことは基本的に無い。炎症をなるべく抑えて進行を抑えることしか出来ないということだった。
いつからか自宅内の移動でも息が切れるようになってしまい、家の中に酸素供給装置が置かれ基本的には常に鼻に空気のチューブを装着している状態だった。
自力で風呂には入れないのでヘルパーさんが入浴させてくれたり、ぼくの担当の日、母の担当の日はそれぞれシャワーを浴びせたりしていた。
父は申し訳なさそうにしていたものの、自分が小学生以下とかまでは父が洗ってくれていた記憶や、20年前弱に自分の子どもの体を洗ったり着替えさせたりした記憶が残っているのでシャワーを浴びせたり体を洗ったり、身体を拭いて、ドライヤーで頭を乾かして、着替えを手伝うなんてことは負担とは感じず、むしろこれだけしか手伝えてないのが申し訳ないくらいだった。
特に用事が無いと実家に寄ることはほとんど無かったので、シャワーの時に来て顔が見られるのはいいねとか言ってたりして、帰りには「じゃあ、また来週お願い」とか言うので暗に「来週も普通にぼくが来て父を風呂に入れる」っていう願掛けというか、そんな約束が出来ていた。
(多分、続く)
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